モチベーションにはタイムリミットがあるという話
俺のフレンチ、俺のイタリアン・・・・
「俺の」シリーズのお店にいまだに訪れたことのなかった私ですが
先日、初「俺の」をようやく。
「俺のBakery&Cafe」 でした。
銀座の歌舞伎座前の店舗です。
卵サンド、ボリューム満点のたまごたっぷりで
とてもおいしかったですよ。
さて。
今日は
モチベーションにはリミットがあるよね、という話をしようと思います。
ある日、ある人が「富士山に登りたいんだよねー」みたいなことを言いました。
で、私も登りたい!うんうん登ってみたい!
人生で一度は登ってみたいよね!みたいな会話になりました。
で、その人は、どんだけ本気で富士山に登りたいかということを言いました。
なんならもう、大昔から、それこそ20歳のころからずっと
思い続けてるんだよね~、なんて言うわけです。
それをきいて、ふと、私は思うわけです。
いや、それ、もう。
本気で富士山登りたいのモチベーション
賞味期限切れてねぇか??
20歳で富士山にマジで登りたいと思っていたのなら
21歳で登っていただろうし、
25歳で登っていたかもしれないし、
32歳で登ったかもしれない。
身体的な事情があったとかじゃないのに
いまもなお登っていないということは
おそらくこの先も、たぶん登ることはないよね?って思うわけです。
富士山に登りたいんだよねーって言い続けて
富士山に登らないまま一生を終える可能性が高そうです。
文庫本は何冊積んだら倒れるか、という本があります。
(現在、アマゾンリンクを貼ろうとすると不具合が出ているので、キャプチャ画像にて失礼!)
(各自ググってアクセスしてくださいな)
超絶くだらないどーでもいいことをくそ真面目に調査していて
そこが面白い本なのですが
例えば・・・
本についてる栞は何ページめに挟まっているのかという
めちゃくちゃ無意味な調査をしてわかったことは
だいたい真ん中くらいに挟まってるんだろうなという期待を裏切って
わりと端っこだったりとか。
というか、とくに決まりはなさそうだというのが結論だったり。
例えば・・
2000年と2015年の新潮文庫の目録を比較し、
2000年には出版リストにあったのに
2015年にはいなくなっている作家を探して
この15年間で「切られた」やつは誰かを調べる。
アガサクリスティがいまや在庫ゼロ!
パスカルのキルケゴオル、トルストイ、ツルゲーネフもゼロ!
売れなければ海外作家は容赦無く切られる傾向なんだなぁということが
わかりましたよ、という話だとか。
例えば・・・
文庫に詩人はどれくらい採用されてるかとかを調べると
ダントツ1位は「中原中也」で、
あとに続くのは、萩原朔・高村高・谷川俊…の、3太郎だったよっていう。
だからなんだよ、という調査だとか。
そういった、本にまつわるある意味無意味な調査(ある意味、筆者の興味の赴くままの自由な調査)が
つらつらと書かれている本だったのですが、
その中で
積ん読した本を本当に読まなくなる期限はどれくらいかという調査がありましてね。
読みたいなと思って本を買う。
なんやかんやで当日はまだ読まない。
あれやこれやで翌日も…読まない。
てことが普通にあると思うのですが
どこまで放置してしまったら読まなくなるかと調べると
1週間ぐらいなら可能性はまだ残っていて
「これは今度の出張のときに新幹線で読むから大丈夫」なんていうふうに
理由(読む場面)が予定されているようなのはまだ平気で、
そいういったものを除外しながら様子をみていくと
結論としては、
どうやら18日を過ぎてしまった本は
ほぼほぼもう一生読まないだろうな、という結論だそうで。
(ついでにいうと人からもらった献本はほぼ100%読まない説)
読むぞ!
絶対読むぞ!
必ず読むぞ!
だって読みたいもん!
すごく読みたいもん!
読まないわけがない!
わざわざお金出して買ったんだよ!
こりゃ読むべきだよ!
そう思っていた想いも
18日という時間の流れを経過させてしまうと
すっかり消え失せてしまうということだよね。
で。
最初に戻すんだけれど
モチベーションにはタイムリミットがあるよねという話。
やりたいな、と思ったことがあったら
いまやらないと、
きっと一生やらないよ?
みんなはどうかな。
やりたいことがあるなら、
モチベーションのタイムリミットを迎える前に。
そう。いまだよね。
っていう話。
がんばってね。
がんばろうね。