つぶやき。
まだ幼稚園に入るか入らないかぐらいの時の娘が写っている・・・
私はわりとこの画像が気に入っています。
インテリア的なことを言えば、
①素足で気持ちのよい無垢フローリングの話
②寒色系の濃い色を壁のアクセントに使うと奥行き感がでて部屋が広く見える話
③オーダーだからこそつくれる自分仕様のワークスペース、造作家具の話
④天井のダウンライト照明の話
・・・などなど、この画像から話を広げることができますが
でも、今日はしません(笑)
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昔からすごく不思議に思うことがあります。
子供のころから、です。
外を歩いていて、誰かにぶつかりそうになったとき(あるいはぶつかったとき)
その人と私はなんという運命のつながりなのだろうか!って。
おおげさじゃなくて、本当に、単純に、
スゲーっていつも思ってしまうんです。
どちらかが左右前後にちょっとでもずれていたら、ぶつからなかったわけ。
でもぶつかったということは、この広い宇宙空間におけるXとYの座標がぴったり同じだったわけです。
じゃぁXとYの座標が同じだったとしても、
私が地下鉄に乗っていて、その人が地上をあるいていたら、ぶつからない。
私が地上にいてその人が飛行機で頭上を飛んでも同じこと。ぶつからない。
ぶつかった人とは、Zの座標も同じだったわけです。
で。
XYZすべてが同じ座標に存在したとしても、
時間軸がずれていたら、やっぱりぶつからない。
宇宙が誕生して、地球が誕生して、人類が誕生して・・・・
そのとてつもない時間軸の中にいて
何年何月何日の何時何分何秒の、どこそこの場所、という
空間と時間が一致する「点」の中に
私と誰かが同時に存在した(つまりぶつかった)ことが
本当に、すごい運命って思うんです。
それでいて、そんなにすごい確率の運命にもかかわらず
まず間違いなく、私とその人は
「どんな関係にも発展することなく」永遠に記憶に残らず
つまり、何の運命も感じることのないままお互いに消えていく、というのが
・・・・
なんか、すごく不思議なように感じるのですが
意味わかりますでしょうか(汗)
ちょっと変ですいません。
皆さんも、そういう、なんか、「なんだろう。この感覚」っていう
不思議な感じをうける現象ってありますよね?
・・・という、意味不明なブログにて、本日はおしまい!
人と出会う、というのはすごいことだと思いませんか。
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