だれかのなにかを解決できた感
昨日、6畳サロンコーディネートの話をしたので、私のブログを昨日初めて読んでくれた人(がいるとするならば)は「あぁ、なんかそういうサロンのコーディネートをする人なのかな」と思われたかもしれませんが、ジェイブルーは個人邸のインテリアコーディネートのお仕事をしています。リビングとか寝室とか子供部屋とかね。ふつうに住んでいる家のインテリアのご相談にのっていますよ。
インテリアコーディネーターになりたくて目指していた頃は、モデルルームやモデルハウスのコーディネートをしているインテリアコーディネーターがとっっってもかっこよく見えて憧れて私もいつかそういうICになりたいと思ったものでしたが、実際にインテリアコーディネーターになった私はいま、モデルルームのコーディネートをやっているかというと全然やってなくて(笑)ひたすら個人邸のコーディネートばかりです。
具体的な「誰かの何かを解決できた感」みたいなものを得られている気がして、とても充実感があります。いいお仕事に巡り合えて私は幸せだなぁと、自分では思っています。
私が感じる「誰かの何かを解決できた感」とは、簡単に言えば「お役に立てたかどうか」という言葉で表せるんだろうと思います。じゃぁ最初からそう言えw
そうだ、ちょっと話は変わるけれどね。
人の役に立てた、と実感できたときに、自分の存在というものを認識できるんじゃないかなぁと私は思うのです。
よく若い人が「自分探しの旅」とか「本当の自分」なんてことを言います。いや、若い人に限りません、そこそこ年齢を重ねてきた人でさえそんなことをいう人がいます。自分なんてものは探さなくてもここにいるし、逃れようもなく、ありがたがるものでも卑下するものでもなく、ただ存在しているものです。たぶん。
だけど一人でいたらそれが見えにくい。
鏡があれば「あ、写っているこれが自分だ」とわかるでしょ。
そこに他者がいてそして会話をすれば「あなた」と「私」は違う存在であることに気付けるでしょ。声が違う。言葉が違う。思想が違う。感情が違う。他者がいることによって自分の特徴を認識することが出来るでしょ。
あなたと会話して楽しい時間を過ごせたよありがとう、ともし言われたら「自分は役に立てたのだな」という充実感と存在している意味を思うことが出来るでしょ。
そうやって自分と交わる他者が具体的であればあるほど、自分を深く知ることが出来るのはないでしょうか。
みんな、という抽象的なものではなくて、Aさんと1対1で関わりを持つことによって、知ることが出来る自分がある。
モデルルーム、という不特定多数へ向けたアイコンのようなものではなくて、Aさんの家とかかわりを持つことによって得られる経験値がある。
・・・みたいな。
そして話は戻るわけだけれど、私にとってのインテリアのお仕事は、具体的な顔の見えるお客さまのお部屋だからこそやりがいを感じているのだ、っていう、
そういうつぶやきの本日のブログはいかがでしたか。
ちなみに本日の自撮り画像はなんだよこれ、って話ですが「今年の夏はこの服ばっかり着てたなぁ」という回想ですwww
上下つながったサロペットの、キュロットスカート、紺色。着やすくて動きやすくて、ついこればっかりでした。
超絶どうでもいい画像。
今日も英語はギブアップw
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