割れ窓理論。
2014年になってから、
そういえばめっきりご無沙汰になっているものがあります。
読書。
・・もうね、全然読んでいません。
本っていうのは、時間があるとかないとか忙しい忙しくないっていうのは
実際あんまり関係なくて
読むときは、どんな状況でも、隙間をみつけていろいろ読むし
読まないときっていうのは、どんなにヒマだろうがページを開かない。
そんなわけで、今年はなんだか、全然~・・・・です。
自分のモチベーションがあがったりさがったりするとき
何かを探すように、あるいは、何かから逃げるように
「言葉」をつかもうともがく時があるのですが・・・
今年はなんだか活字離れな日々。
さて。
というわけで、事務所の敷地内の雑草がすごいことになってきたので
半日かけて、草むしりなんかをして過ごした日。
タバコの吸い殻がひとつ落ちていると、
それが呼び水となり、また1本、さらに1本・・・吸い殻のゴミが増えていく。
そして、気が付けば、空き缶やら、コンビニの袋やらが
散乱してしまうという・・・ヒドイ有様になるのです。
伸びていた草をむしると、見えてなかったゴミがいろいろ隠れていまして
あちゃー・・って思ったわけです。
毎日気を付ければ、3分で済む話。
入口の前、玄関の前、掃き掃除って必要だよねと改めて。
いわゆる「割れ窓理論」というやつだ。
アメリカの心理学者が唱えた理論。
1枚目の窓を割るのは心理的抵抗が大きいけれど、
割れている窓が1枚あると他の窓を割る時の心理的抵抗は非常に少ない。
すなわち、目に見える軽微な犯罪、ゴミ、悪を減少させることが
その先に続いてしまう重大事案の誘発を防ぐという考え方。
掃除をせずしばらくほっておくと、あっというまに
「ここはゴミ捨ててもいい場所なんだ」と認識されてしまいます。
家の中も同じですよね。
いつも散らかっていると、その状態が「通常」の姿になってしまう。
何もない綺麗に片付いたダイニングテーブルの上に、
取り込んだ洗濯物をひとつ置くのは気が引ける。
でも、もともとそこに洗濯物が積まれていたら・・・
そのとなりに、学校のプリント、飲みかけのペットボトル、
出しっぱなしのカギ、しまい忘れたメモや筆記用具・・・
どんどん置きっぱなしにしても罪悪感が薄れる。
そうやって、家は散らかっていくのである。
最初のガラスをいかに割らずにキープできるか、です。