踏み出せるかな
ベッドの下から覗き込んでる猫ちゃんがかわいい~。
(わたし、この写真大好きなのです)
以前の施工例写真でした。
さてと。
一人目を出産するときよりも、
2人目を出産したときのほうがめちゃめちゃ怖かったなぁ、なんてことを
ふっと思いだします。
「あの痛さ」を知ってしまっていたからこそ、怖気づいたのだ。
数年前。
夏休みに家族で海水浴にいった。
防波堤から海面にむけて「飛び込もうぜ!」という話になった。
3~4メートルほどある高さからのぞきこむと、
海は思っている以上に下にみえて高所感に恐怖を覚える。
地元の高校生だろうか、居合わせた男の子たちがホイホイと飛び込んでいく。
小学生だった息子は飛び込むことが出来なかった。
親の威厳を?とばかりに、夫がエイ!っと飛び込んだ。
私もそれに続いて、エイ!っと飛び込むことにした。
立ち止まったらきっと怖くて飛び込めないだろうと思ったから
駆け出して勢いをつけてそのまま・・・海に落ちた。
キャーっと言ったような気がする。
体がフワっと浮いた、その数秒後には海に突き刺さって沈んでいく。
ゴボゴボゴボと水の乱れる音。
ある地点で沈殿は止まり、そのあとゆっくり浮上し、海面に顔が出た。
着ていたビキニは飛び込んだときの衝撃でずれて、
お乳も陰毛もみんなはみ出した。
飛び込めた!・・・充実感があった。
そうやってね1度目は飛び込めたのです。
だけど、私は2度目は飛び込めなかった。
落ちていくときの恐怖感がすっかりこびりついて
脚がすくんでしまうのだ。
それと同じだろうか。
やったことのないことをやみくもにがむしゃらに進めているときは
それほど恐怖を感じない。それがたとえ無謀でも、クレイジーだったとしても。
だけど。
また同じようなことにトライしようとするときには
とてつもない躊躇や葛藤と戦うことになる。
いろんなことが大変だぞということ、しがらみもあるだろう、
非現実的な考えだろうか、お金はないぞ、そんなこと無理だよ、
バカみたいだ、なんのために?・・怖い・・・そういう途方もない計画や夢。
あるいは日常の、こと。
起こりうるすべてを想定すればとてもじゃないけど
「勢いで、エイッ!」となんて踏み出せない。
失敗が怖いか?失敗は恥ずかしいことか?
歳をとって、新しいことにチャレンジできなくなっていくのは
そういうことなんだろうと思った。たぶん。
そうして1歩も動けなくなる自分。
動けなかったんじゃなくて「動かなかったのだ」と
言い訳を探すのはいくらでも出来るけど
しょせん・・・言い訳だよね、と思う。
問題と向き合う覚悟と、勇気。
それをふりしぼった先に新たな1歩がある。
それをふりしぼった先にしか新たな1歩は、ない。
よどみたくないなぁって、思うのだ。
って思いませんか?
って1月の冷たい空気にむかってつぶやく。