本棚のある書斎、私にとってのインテリアコーディネートの原風景

書斎の原風景

「書斎」という言葉を聞いたとき、はっきりとイメージする原風景が私にはあります。

祖父母の家は、東京の練馬にありました。上石神井駅から徒歩圏内の住宅街、まわりはキャベツ畑で、東京といいつつのどかな田舎です。
2階建ての小さな戸建住宅、父方の両親である祖父母がそこに住んでいて、年2回、盆と正月だけ会いにいくというのが、子供のころの我が家の帰省スタイルでした。

おじいちゃんっ子、おばあちゃんっ子・・・世にはたくさんいらっしゃると思いますが、私は全然違いました。人見知りな性格に加え、盆と正月にしか会わない大人(祖父母だけじゃなく親戚のおじさん・おばさんも含め)は、幼いころの私にとってはちょっとよそよそしい存在。こちらから親し気に話しかけることは皆無でしたから今振りかえればさぞかしかわいげのない孫だっただろうと思いますが、私は私なりに祖父母が好きでした。

それでも気恥ずかしさはあるので、「学校はどうだい?」「何年生になったのかい?」などのあたりさわりのないやりとりをした後は、大人たちの談笑が始まったのを見計らって、スーッとリビングから離れ隣の部屋に逃げ込みました。


逃げ込んだ先。それが、祖父の書斎でした。

専門書だらけの部屋

祖父は私が6歳の時に亡くなったので、一緒に過ごしたエピソードはほとんど記憶にありません。いわゆる昔の親父像といいましょうか、一家の主、威厳、近寄りがたい「圧」のあるオーラ、お世辞にも「優しいおじいちゃん」とはいいがたい存在でした。親しみやすさはなかったものの、とはいえ愛情を感じなかったわけではなく、私に向けてくれた笑顔の表情も記憶の中にはうっすら残っています。

その、祖父の書斎にいるのが私は好きでした。東京大学の教授だった祖父はいつも勉強(仕事)をしているような人でしたので、部屋は、ほぼ「本」で埋め尽くされていました。文庫本や漫画などいっさいなく、専門書や辞書の類で、ハードカバーで茶色い背表紙ばかり。掃き出し窓をふさぐように本棚が置かれ、部屋全体がダークで黒っぽくてどっしりと重力を感じる…そんな印象を私は持っていました。


コイルスプリングの一人掛けの椅子が1脚あって、飛び跳ねて遊んで、よく注意されたんです。「トランポリンじゃないんだぞ」「椅子が壊れるからやめなさい」と。モスグリーンのモケット張地だったような記憶があります。壁沿いには、黒だったかダークブラウンだったかの、革製のソファベッド。

書斎から持ち帰った形見

祖父が亡くなってからもこの部屋は状態をキープしたまま、しばらく存在していましたが、それから15年以上たって祖母も亡くなり、いよいよ「遺品を整理する」からと親戚が集められ「欲しいものがあったら持ってけ」と言われました。値段のつきそうなものや、故人と深い思い入れのあるものはおじさんやおばさんたちが持って行ったので、私は本棚に残っていた茶色い花瓶がかわいいなと思ったので、それを形見としていただきました。

祖父の書斎から
形見として持って帰った
謎の花瓶(鉄製)を
我が家のリビングで飾っている




書斎といえば、いまでも私は祖父の書斎を思い描きます。重厚感があって、専門書だらけの、あの部屋。私の現在のワークスペースも、どこか無意識のうちに祖父の書斎をひきずっているような気がしなくもないのです。本だらけのあの部屋が、子供ながらに「かっこいいなあ」と思っていたし、親戚の大人たちから逃げるように退避できた子供のころの経験が、どこか落ち着く感覚となって私の中に定着したのかもしれません。

みなさんの、記憶に残っている「部屋」はどんな部屋でしょうか。